両親の「見守る」という底の深い、幅の広い愛

私の人生でしょ、って平気で思ってた。

一人っ子。兄弟がいる境遇に比べれば、自分だけを見てもらえて、大事にされていて、何でも買ってもらえて。両親からの愛は独り占め。そんなふうに映っているらしい。けれど、私の家はそうではなかった。
高校2年生のとき、進路を就職から進学へ切り替えた。小説家を志す私に、友人が大学への進学を勧めてくれたからだった。
両親は就職を希望していた。私もこれ以上勉強はしたくなかったし、小説は会社が終わってからすればいいと思っていたから、将来の話について家族の中では終わっている。ある日娘が帰ってくるなり大学へ行く、と言い出し、話し合う間もなく、すでに先生にも報告していると言葉が返ってきたときには、さぞかし両親も驚いたことだろう。

「そんなお金、ないで」

両親は口を揃えた。子どもながらにそれは理解していた。母の浪費癖のせいだということも、なんとなくわかっていた。今からお金貯めるし、奨学金も申し込むから大丈夫、お金のことは何も心配いらない、と言い張るしかなかった。
母は訝しんでいるような目線を私に向けていたが、父は違った。お金のことは何にもしてやれんけど、と進学については喜んでくれていた。
4年制大学の入学金は95万円。とにかくまとめてこれだけの金額は納める必要がある。貯金額10万と少し、奨学金は入学金を納める期日には間に合わない。さあどうするか。アルバイトを掛け持ちして、深夜も働くしかないのである。

お父さんには内緒

深夜の時間帯、高校生は働けない。年齢を誤魔化して稼ぐことにした私は、母にだけ本当のことを話した。父には絶対に言わないでほしい、と口止めをして。
隠し事のできない母にしては、本当によく頑張ってくれていたと思う。私が夜な夜な出掛けて行くのを父には、友達のところへ遊びに行くみたい、とフォローしてくれたり、夜食を作って、起きて待ってくれていたり。父は何も知らずに、いびきを掻いて眠っていた。

入学金の額まで後半分、というところで、事件は起こった。ある日学校から帰ると、母はリビングの壁でうな垂れていた。続く和室で野球を観ていた父は、私に背を向けたまま、こっちにきなさい、と言った。お母さんから聞いた、の一言で、何か言い訳しようっていう気持ちは消えた。
黙って働いていたことをまず怒られた。私が悪い。素直に謝って許してほしいと言えばよかったのに、口から出てきた言葉は、

「じゃあお金、出せるん?」

それ以降、父はアルバイトに関して何も言わなかった。母も以前と変わらず、夜食を作って私の帰りを待ってくれていた。私は毎日のようにアルバイトに出掛け、休むことなく学校に通い、カレンダーを見つめ、納期と稼いだお金を数えて過ごしていた。

愛のかたちに気がつくまで……

その後、期日までに入学金を納めることができて、私は晴れて大学生になった。半年も経たぬ間に退学して、またお金を貯めて専門学校へ入り直すことになろうとは、このとき思ってもみなかったが、あの学費を必死になって稼いでいた日々を思うと、両親の顔が浮かんでくる。いつのときも、私がすることを反対もせず、黙って見守ってくれていた。
それが愛だということに気がつくまで、5年かかった。

私が親になったとき、同じような愛を、子どもの人生を尊重するような気持ちを、示すことができるだろうか。この子なら大丈夫、やれる、って信じて、見守ることができるだろうか。逆の立場は案外、難しいことのようにも思える。

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錦織小町@ささ脳

錦織小町@ささ脳美術モデル

投稿者プロフィール

表現者。1988(昭和63)年大阪府生まれ。近畿大学中退、大阪コミュニケーションアート専門学校卒業。三年間の会社員生活を経て、現在は執筆、美術モデルを主な活動としている。生きている意味、自分にできること、しなければいけないことは何かを問い続ける。

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